そのまま結構長いことぎゃーぎゃー言い合ってて、お互いに息が切れてヘロヘロになってきたところでようやく、とりあえず一時休戦と行こうじゃないのと妥協案が出た。
 いいかげん手首を握りっぱなしってのも疲れてきてたので、休戦であることを確認してから手を放した。
 俺は仰向けの体勢でベッドの上に倒れこむ。上がりかけていた呼吸を整えていると、必死に手首を擦っているシルヴィアが目に入った。
「……その、悪かった。力、入れすぎた」
「おかげさまで痕になっちゃったわよ。休戦でなかったら同じ痕をあんたの首につけてやるのに」
 さらりと恐ろしいことを言いながら、シルヴィアはぷいとそっぽを向いてしまった。
(仕方ねえじゃねえか、あの馬鹿力に対抗すんのに手加減なんかしてられるかよ……って、ん?)
 いやおかしくないかこれ。
 今の今まで、俺こいつに力比べで勝ったことあったっけ。なかったよな。
 こいつ、本気出せばいつでも殴りに行けたはず。
(……まさか)
「おい、シルヴィア」
「……何よ」
「お前、大丈夫か?」
「今更何よ。……今日のアポロわけわかんない」
 シルヴィアはこっちを向こうともしない。俺は体を起こすと、肩に手をかけようとして――止めて、ぐるりとシルヴィアの前に回り込んだ。
「っ、なに――」
 ひたり。
 反射的に何かの構えを取ろうとしたシルヴィアの、先ほど石頭っぷりを証明してくれたその額に、手を当てる。
「熱……は、ないか」
「……っもぉおお、さっきっから何がやりたいのよあんたはっ!」
 叫びながらぱしーんと俺の手を振り払うと、シルヴィアは疲れたように肩を落とした。
「ホントわけわかんない……」
「俺だってわかるか」
「なによそれ」
「知るか」
 そこで会話が途切れた。ぐったりとした、重苦しくはないけど息苦しい感じの空気があたりに漂う。
 無駄に疲労を感じさせるそれは、眠気を誘ってはくれなかった。
 全力疾走の後みたいに、体は疲れてるけど頭だけが変に高揚させられてる、そんな感じだ。
「……そんなに私柔らかかった?」
 ぽつりと呟いた、シルヴィアの声にも疲れきった何かがまとわりついていた。もうどうでもいいみたいな、ゆるい投げやり感。
「まあな」
「どのへんが?」
「ぜんぶ」
「ぜっ……って、や、やだばかっ、何言ってんのよっ」
「お前が聞いてきたんだろーが。本当に、触ったとこ全部柔らかかったぞ」
「ばっ、ばばばかっこの変態っ」
「わっけわかんねえ……」
 今度はこっちが肩を落とした。
 つと、シルヴィアに触れていた両手を見やる。軽く握ったり開いたりして、感触を思い出してみる――
「確かに柔らかかっふべ」
「いいから黙っててよ!」
 ずるり、顔面にぶち当たったものが落ちていく。枕だった。
(……なんでだ?)
 いつもだったら拳が飛んでくるはずなのに。さっきもそうだったが――これはつまり手加減されてるってことなんだろうか。
 まあ考えたところでわかるわけがなさそうだったので、とりあえず膝の上に落ちた枕を拾った。脇に置こうとしたそれを何となく握ってみる。
 わし、と枕の中身が移動するのがわかった。
 そこそこの弾力性があるそれは柔らかいといえば柔らかかったが、シルヴィアのそれとは全然違っていた。何でこいつあんな柔らかいんだろう。謎だ。
 しばらくわしわしと枕をもてあそんでいると、枕ダメになっちゃうじゃないやめてよと取り上げられる。
 ……どうにも手持ちぶさたになった。
 仕方なく、関節を鳴らすみたいに交互に手を握ることを幾度か繰り返していると、小さく名前を呼ばれた。
「んあ?」
 シルヴィアがこちらを見ている。なんとも言えない表情がそこにあった。
「さ……」
 そう発音したきり、シルヴィアは視線をうろうろと彷徨わせた。心なしか頬が赤い気がする。
 まさか、本当に熱でも出てきたんじゃないだろうな。
 少し心配になって身を乗り出そうとしたところで、
「さわりっ、たい……?」
「……は?」
 物凄い中途半端な姿勢のまま動きを止めて、例によってわけがわからず、たった一言で問い返す。
「だっ、だから、さっ……触りたいのかって……思って……」
 語尾は小さくなりすぎて全然聞こえなかったが、だいたいの意味は理解できた。
 だから問い返す。
「何を」
「あんたわざとやってるんじゃないでしょうね?!」
「わざとって何が。触りたいって俺がだろ、何をさわ――……」
 問いかけの途中で、俺は答えらしきものに思い当たった。
 ……これ、でいいんだろうか解釈的に。でももし違ったりしたら今度こそ本気でボコボコにされそうな気がするぞこれ。
 半信半疑のまま、ゆっくりと人差し指を向けた。
「……お前を?」
「っひ、人を指差すんじゃないわよバカ!」
 言われて素直に下げる。
 俺は改めてシルヴィアをちゃんと見据えてから――ん、あいつ一瞬怯まなかったか?――言葉を変えて聞いてみる。
「触っていいのか?」
「……あ、あんたがそうしたい、ってんなら……ち、ちょっとだけよ! ちょっとだけだからね?!」
「別に強調しなくたっていいだろ」
「うるさいうるさいっ! 黙ってどっちだか言いなさいよっ!」
 黙って言え、ってどうすりゃいいんだよ。まあ何となく意味はわかるけど、こいつ頭大丈夫か? 本当に。
「じゃあ、触りたい」
 まっすぐ正面からシルヴィアを見つめて答えてやったら、何か変にうろたえられた。
「……す、ストレートすぎなのよあんたはっ」
「どっちか言えってお前が言ったんじゃねーか」
 ツッコむ気力もそろそろなくなってきた。本当にわかんねえ、今日のこいつ。

 それから――こいつに触りたいとか普通に考えた、俺自身も。

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