そのまま数日が過ぎた。


 今日もどうにか宿にありつけて、夕飯を済ませ、いつものようにそれぞれの部屋に入る。俺は混み合う前に風呂に入って来ると、ベッドに寝転んで息をついた。
 コレットはまだ資料を解析してるんだろうか。
 イセリアで見たゼロスの資料はいつもの倍くらいの量があった。封を開けた所を見たわけではないから、中身が紙の束だったのか分厚い本だったのかは知れないけれど。
 それでも、あれだけの量を解析するのは骨が折れるに違いなかった。そして、手伝おうとそれらを見た自分が睡魔に襲われることも。
(情けねえなあ、俺……)
 もっと真面目に勉強しとけばよかった、なんて今更すぎる後悔を噛みしめる。努力はするべきなのだろうけど、こればっかりは一朝一夕でどうにかなるものでもない。俺にとっては。
「……よしっ」
 俺は大きく伸びをして体を起こし、ぱん、と頬を張った。
(うだうだ言ってても始まらない。俺は俺なりに、やれることをやればいいんだ)
 決意を固め直し、寝る前に水でも飲んでくるかと考えたそのとき。
 コンコンという控えめなノックと、鈴を転がしたような声がした。
「ロイド? 起きてる?」
 他の泊まり客の迷惑にならぬよう控えめに囁かれるそれは、まごうことなくコレットのものだった。
 宿で俺の部屋を訪ねてくるときはいつもこうで――あるとき、まだ夜中でもないのに小声にしなくても平気だと言ったら、早く寝てる人が居て起こしちゃうかもしれないでしょ? と返された覚えがある。その言い方がまるで小さな子供にお小言を言うようで、俺はそうだなと苦笑したっけ。
 今日も今日とて気配りの大安売りをするコレットは、今夜の隣室が空いていることを知らないんだろう。
 ともあれ。
 毎晩部屋に閉じこもっていたコレットが訪ねてきたということは、資料から何かわかったのかもしれない。
 俺は明日の予定を練り直すつもりで、ドアの外のコレットを呼んだ。
「ああ。入れよ」
 一拍おいてがちゃりとドアノブが回る音。よし今度は俺の出番だとか意気込みつつ、ドアの方を見る。
 開いたドアからは一人のメイドさんが入ってきた。
 メイドさんは静かにドアを閉め、照れたような微笑を浮かべそこに佇んでいる。
 浅緑を基調としたワンピース。そこに胸元の赤いリボンがアクセントを添えつつ、腰から下のエプロンとストッキングの白さが目にまぶしい。
 長い金髪はみつ編みにして後ろに垂らし、頭全体をひらひらした襞付きのキャップできちっとまとめている。
 ――そんな、まごうことなきメイドさんがそこに居た。ただしどこかで見たことのあるような。
(……?)
 この宿にメイドさんはいなかったはずだし、食堂のウェイトレスさんは確か紺色っぽい服だった気がする。
 部屋を間違えたんだろうか。
「ロイド?」
 俺はメイドさんから呼びかけられてようやく、ドアの外から聞こえてきた声と、入ってきた人物を一致させることができた。
「……コレット? ど、どうしたんだ、その格好」
「えへへ、覚えてる?」
 言って、コレットはくるりと回ってみせた。スカート下のペチコートがひらりと舞う。
 覚えてるも何も。
 こんな殺人的な格好をしたコレットを忘れろとかいう方が無理だと思う。もちろん、初めて見たときはそこまで思ってなかった――ゼロスじゃあるまいし――けど、その、今みたいな仲になってまで何も感じないわけがない。
「確か、メルトキオでメイドさんのお手伝いしたときに貰ったんだっけ?」
「うん!」
 何が嬉しいのか満面の笑みでメイドさんは頷いた。それから、とてとてとこちらに歩いてくる。
 俺は状況がいまいち掴みきれないでいた。
(……ええと)
 コレットは各地に残るエクスフィアの資料を解析していた。宿の自室に資料を持ち込むのを見ているから、それは間違いない。
 そして何かわかったから俺のところに来た。何をどう考えてもそれ以外に、この状況が起こりうることが考えつかない。
(それで何でメイドなんだ?)
 考えれば考えるほど混乱してくる。
 ふと見上げれば目の前のメイドさんなコレットと目が合って、挙句こっちが照れ臭くなるような心中穏やかでなくなるようなひどく可愛らしい笑みを返されてしまい、ますます思考の混乱を誘った。
「えーと、コレット」
「うん」
 俺は緩みそうになる頬を意識して引き締め、真面目くさった顔で聞いた。
「メイドが何か鍵なのか?」
 するとコレットは一瞬ぽかんとしたあとちょっとだけ頬を染めたりして、
「う、うん。鍵といえば鍵かな、えへへ」
 なんて答えてくる。
 一体どんな場所にあるんだろう、次のエクスフィアは。
(そうか、もしかして……)
 お金持ちの屋敷でコレクションされてるとかそういう話だろうか。ああいう所に正面から行くと門前払いをくらうことが多いから、メイドとして潜入する案を思いついたのかもしれない。
 しかし天然ドジッ子の鑑みたいなコレットが、メイドとしての実務をこなせるかどうかという点については甚だ怪しいものがある。失敗続きのメイドなんて目立って仕方がない。明らかに潜入捜査向きではないと思う。
(……困ったな)
 このことをどうやって、衣装まで持ち出したやる気まんまんのコレットに言い聞かせればいいんだろう。
 そうして悩み始めたもののうまい考えが浮かぶはずもなく。
 向けられる笑顔を見ているうち、俺は議題を放棄することに決めた。
 コレットはコレットなりの考えがあるのかもしれないし、もしかしたら別な話かもしれないのだし。俺一人で勝手に決め付けるのはよくないことだ。
「まあいいや。聞かせてくれよ」
 俺は居住まいを正して話を聞く体勢をとる。
 そして、ベッド脇で立ち尽くすメイドさんを真剣な表情で見上げた。
「……コレット?」
 何故かもじもじしているコレットに声をかけると、びくん、とやたらオーバーに肩を跳ね上げた。
「えっ、あ、うん。えっと……じゃあロイド、目を瞑ってくれるかな?」
「目を? 何で」
「いいから。ねっ」
 実のところ、コレットのこの笑顔に逆らえた試しはない。
 ひらひらしたこの服装が更なる追い討ちをかけてきて、訳は後で聞けばいいかと目を閉じた。
「いいって言うまで、目を開けたらダメだよ。開けたりしたら……怒るからね」
「ああ」
 目を開けると怒られる情報とはどんなものだろう。それもメイド。
(となると、やっぱり……)
 これは潜入捜査に備えての予行練習なのかもしれない。例えばこんな風に、エクスフィアを自慢し出した金持ちをまさしく天使の微笑みで油断させてこっそりと抜き取る、とか。
 相手がモンスターならローバーアイテムでも使えるけど、人間相手、何より一般市民にいきなり攻撃を加えるわけにもいかない。
(やっぱりコレットは目の付け所が違うよな)
 などと考えているうちに、コレットが近づく気配がした。そして――
(……座り込んだ?)
「動かないでね、ロイド」
「あ、ああ」
 返事をしてすぐ、さわり、と腰に手が添えられる。次いでジッパーが引き下ろされる音が耳に届いた。
 そろそろと腰の下あたりをまさぐられる感触に、俺は引き腰になりながら目を開けかける。
「こ、これっ……!?」
「ロイド、怒るよ」
 ほんの少し怒気をまとわりつかせた可愛らしい声にぴしゃりと言われ、俺は素直に口をつぐんでしまった。
 いや黙ってどうするんだ俺、だいたいコレットは何をしようとしてるんだ?
 よく考えたら、予行練習ならそうだと言ってくれればいいのに、言わないってことはやっぱり違うってことか?
 エクスフィアのことが何かわかったんじゃなかったのか?
 何かわかったのだとしても、エクスフィアと目を閉じて服を脱がされてるらしいのと、何の関係があるんだ?
 さっきから視覚を塞いでいるせいで、他の感覚器官が敏感になっていく。
 耳にはコレットのちいさな息遣いが生々しく響いてきたり、鼻はコレットの花みたいないい匂いと石鹸の匂い――多分コレットも風呂に入ってきたんだろうな――とを嗅ぎ分けてるし、コレットの手が触れてる下半身に至っては、
(――って!!)
 俺は言いつけも忘れて思いっきり目を開けた。
 ランプの灯りすらまぶしく感じられる世界では、メイドさんなコレットが俺の足の間に跪いていて。
 白くて細いすべすべの手が、俺の、それに、触れようと。
「こ……こここ、これっ」
 コレットの細い肩がびくんと跳ね上がって、勢いよく上げられた顔はかなり赤くて、つり上がった眉すらも見とれてしまいそうなほどで、コレットは怒っている。
 とりあえず俺の脳内はそんな感じに支離滅裂になっていた。
「ロイド! 目を開けちゃダメって言ったのに、は、早く目を閉じて!」
「いや、ちょっ、な、何してるんだコレット、おま……」
「早く!」
 戦闘中でもないと聞けないコレットの剣幕に、思わず目を閉じてしまう。両目をぐっと瞑った俺を見て落ち着いたのか、次に開けたら絶交だよ、と呟く声が聞こえた。
 俺はごくりと唾を飲み込んだ。
 何でかはわからない。
 ――いや、わかった気がしたから、わからないふりをした。
 そんなことありえないって必死で自分で言い聞かせて、淡い期待なんかし始めてる自分を叱りつけて。
 誰にしてるのかわからない言い訳が終わらないうちに、コレットの手が触れてきた。
「っ……」
 ぞわり、と全身を何かが走る。まだ触れられただけで何もされていないのに。
 最初は恐る恐るといった感じの手つきが、だんだんと接着面積を広げてきた。撫でるようだったそれは三十秒としないうちに「擦る」に変化する。
 ついていけてない。
 突然メイド姿で現れたコレットが始めたことにも、どんどんと大胆になっていくコレットの技巧にも。
 俺は全てから取り残された気分で、わけのわからないまま状況に流されていた。強引に押し寄せる一つの感覚が俺から思考を取り去っていき、さらに理解不能に陥る。
「こうして、えっと……」
 やっぱり意味のわからないコレットの囁きが耳に届く。瞬間、ぬるりとした感覚が俺を襲った。
「っな、これ」
「ん……んふ、ん……く、はぁ、目を……開けちゃ、んっ、ダメ……だよ」
 自身にかかる荒い吐息の熱さと、幼稚な水音と、吸い付くような粘膜質と。
 そのどれもが暗く閉じた視界の中で意味を持って、リアルな幻視を促進する。
 目を開ければそこにあるものを、何で俺は想像なんかしてるんだろう。でも、開けたらコレットが怒るみたいだし、絶交は嫌だし、何よりもたぶん。
 実際のそれを見てしまったらきっと、俺はコレットに嫌われるに違いない。ぼんやりと自覚したそれが、俺の目を固く閉じさせている。
 ――そうたぶん、コレットがメイドさんになって入ってきたときから、心のどこかで期待してた「何か」があって。
 あるわけないだろって奥底に押し込んで。俺は何て破廉恥な奴なんだってちょっとだけ後悔して反省して。
 それが全て現実になった今、その「何か」は逆に現実を否定しにかかっている。
 知ってたんだ。
 現実になったらきっと、俺はコレットにひどいことをしてしまうんだって。自分を抑えきれなくなるって。
(止め、させない……と)
 俺は高熱を出したときみたいに重たくなった両手を持ち上げて、コレットの頭にあてた。見えないから手探りで頭の形を探り、掴みやすい場所に固定する。指先に伝わる金糸の感触が決意を鈍らせた。
 でも必死で力をこめる。コレットをそこから引き剥がすために。
「んふ、っは、ぇ……ロイド? あっ、やだ」
 コレットはなおも俺に触れようとする。ちいさな口がまた開いたのを、吹きかかる息で理解してしまう。
 途端に両手の力が弱くなる――しっかりしろ、俺。
「ロイド、だめ……」
 だめなのはこっちだ。言い返そうにもそこまで意識が繋がらない。コレットの首と力比べをするので精一杯だった。
「も、もう、怒るよ……っ」
 熱っぽいコレットの声と共に、焦らすような柔な刺激だけだったそこへ過剰な力がかかった。コレットの細い指が、よくはわからないけどたぶん巧みに動いているのを脳が勝手にトレースし、暗闇の脳裏に再生する。
 ちっぽけな意志は簡単に弾き飛ばされた。
 瞬間的に力の失せた両手から、コレットの頭がするりと抜け出す。刺激を続ける指にかぶさるように、コレットの舌が触れた。

 それは、こちらの思考が焼き切れるような熱を伴っていた。

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