「……何だよ」
耐え切れなくなって最小限の単語を口にすると、よりいっそう表情をだらしなく弛めて――それで彼女の魅力が半減するかといえば、逆に倍化した気がしないでもない――、マギーは何でも、と先程と同じ答えを返してきた。
ミカエルはあからさまにため息をついてみせたが、一向に気にする様子もなく、マギーはにこにことこの上ない微笑を浮かべて彼を見続けるのだった。
半ば諦めて食事に目を落とす。短くした髪は首を下に曲げても皿に被るということがなく、快適と言えば快適なのであるが、軽く俯くだけで表情を隠せなくなったのは不便としか言いようがなかった。隠すような仕種をすれば目聡く読み取ってしまう人間の前では、特に。
その都度見るなと注意したり、まして実力公使に走れるわけもなく、なお悪いことには、こちらの心境を分かった上で鈍感なフリをしているようなのだ。彼女はおそらく、自分がいちいち反応する様すらも楽しんでいるに違いない。
それはつきあいの長さとか間柄の深さとは関係なく、誰であろうと彼女の表情を見れば一発で理解できるだろう。
(この女、思いっきり楽しんでやがる)
じろりと睨みをきかそうとも微動だにせず、顔全体に広げた笑みを深くするだけ。手にしたスプーンはもうかれこれ十分近く使用されることなく右手の中で不規則なリズムを刻んでいる。どうやら鼻唄がわりらしい。
「いいかげん食わないと冷めるぞ」
「うん」
言ってから何気なくテーブルに並んだ皿を見た。冷めると不味くなるような品を頼んでいないのは、既に確信犯だろうか。
(……だろうな)
そうでなければ暑い時期でもないのに冷製スープなど頼みはしないだろう。
こうなれば後はさっさと食事を終えることしか思い付かず、ミカエルは大きく音を立てるのも無視して料理を口に運んでいく。
すると、
「ミカエル、お行儀悪いよ」
などとしっかり小言を言ってくるのだからたまらない。
「アンタこそ、食事中に人の顔をじろじろ見んのは失礼じゃないのか?」
「ミカエルにも失礼って言葉があるんだ?」
「おい……」
さすがにそれは言い過ぎだろう。自然と険しくなった声と表情を宥めるように、マギーは両手を振って謝った。
「ごめんごめん、冗談」
冗談で済まされないぞ今のはと思っていると、マギーは持ったままのスプーンを置き、ぱん、と振っていた手を合わせ頭を下げた。
「本当にごめんなさい。もう言いません!」
そこまで大仰に謝罪されては、かえって店内の視線を集めたりして、こちらに不利なより悪い状況を呼び込んでいるようにしか思えない。
わかったからやめろと告げると、じゃあやめますと謝罪の態勢を崩しさっきから飽きもせず続けていた表情と視線を向けてくる。
――呆れて物も言えない。
一向に昼食を取りはじめない相手に、食わないなら俺が全部食うぞと脅すとようやく食事をする気になったようだった。
(疲れる……)
言い様のない疲労にこめかみを押さえる。
「ミカエル、大丈夫?」
視線を上げると、そこには先程とはうってかわって本業の名医の表情をしたマギーが心配そうに、真剣な眼差しを向けてきていた。アンタのせいで変に疲れたとは言えず、何より説明するのも疲れそうだったのでミカエルは何でもねェよとぶっきらぼうに返事をしておく。
「もう。普通にしてたら面影あるのにな」
「何が」
「初めて会ったときと。もちろん、次に会ったときもちゃんとわかったけど……って、前に話したね」
マギーはくすぐったそうに笑った。そんな彼女からわずかに視線を逸らして、ミカエルはそうだなと口の中で呟く。
そうして鈴のような笑う声が止むと、
「似合ってる」
一体何が嬉しいのかミカエルにはさっぱりわからなかったが、とにかくマギーは、まるで自分のことが誉められたみたいな顔でそう結んだ。
ただ一つわかったのは――その笑みは少し、眩しすぎる気が、する。
「あ、前のが悪いって言うんじゃないよ?」
「……誰もそんなこと言ってねェだろ」
付け足された余計な一言に、やっぱこの女俺をからかって遊んでんじゃねェのかと、ミカエルは今日一番のため息をついた。
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