「……ミカエル?」
 そうっとドアを閉めて鍵もかけて、自分のベッドから一メートルも離れていないベッドに横たわる彼を、マギーはゆっくり覗き込んだ。
(寝てる?)
 ミカエルは壁側に首を向けており、ベッドサイドから見た限りでは表情が見えない。
 マギーは当たり前のように壁とベッドの少々狭い隙間に入ると、寝顔の鑑賞と洒落込むことにする。
 自然と口元が緩んだ。それほどに彼の表情は安らかで、起きているときより何歳か若く見える。端的に言えば、
(可愛い)
 今日の昼間のように、じっと見ているとすぐに不機嫌になる彼を何のお咎めもなく堪能できるというのは、きっと今という時をおいて他にないだろう。マギーは心中でガッツポーズなどを取りながら、ただただ彼の眠る顔を眺め続けた。
 だがその至福の時は、ほんの一分足らずで唐突に終わりを告げることになる。
「あっ」
 まさしく天使の寝顔であったそれは一瞬のうちに変貌した。
 眉間に皺が幾本も寄ったかと思うとぎろりと目つきは鋭くなり、閉じられていた口からは地獄の底から響くような低い声が絞り出された。
「……いつまで見てるつもりだ」
「おはよう、ミカエル」
「おはようじゃねえ……」
 ミカエルはがしがしと頭を掻きながら上体を起こした。すぐ脇でしゃがんでいたマギーも立ち上がる。
「ごめん、また起こしちゃった」
 またも何もどちらも寝ていなかったのだが、説明が面倒だったのでミカエルは黙っていた。沈黙に後押しされ、やがて別のことを口にした。
「人の顔がそんなに面白いか?」
「面白いんじゃなくて、楽しいの」
 つまりは遊ばれてるってことだろう。そうつっこむ代わりに盛大なため息をついてやる。もちろん、マギーはそんなことでは動じない。
「それとね」
 きしり。ベッドが軽く揺れた。
 意識して逸らしていたミカエルの視界内に、彼女の亜麻色の髪が入り込んでくる。普段はさらさらしているそれが、今は濡れて重そうに垂れている。
「嬉しいの」
「……何が」
 見とれかけたそこから視線を上げる。昼間と同じ、本当に嬉しそうな彼女の顔と目が合った。
「ミカエルが」
 意味がよくわからない。
 ベッドサイドにちょこんと座ったマギーは、自分が言葉足らずなことをしっかり自覚しているようだった。理解からほど遠い位置にいるミカエルを見て、今度はおかしそうにクスリと笑う。
「ミカエルが、ここに居てくれるのが」
 だから嬉しい。
 マギーはそう言い終えると、ミカエルの左肩に額を押し付けた。髪の中から露出した耳が赤い。
 彼女が触れるそこは奇妙に熱かった。温かいと思う間もなく温度を上げていったその熱は不快ではなく、むしろ心地がよい。
 まさか彼女に熱があるわけではないだろう――それをわかっていながら、ほんの少しの不安じみた疑念にかられ、ミカエルはそっと手を伸ばした。中指の背で、頬に触れる。
 どちらかというとそこは冷たく感じられ、では自分が熱いのかと考えるが、己の体が熱を持っていないのは明白だった。熱があればもっと頭はぼんやりするだろうし、関節がだるかったり、全身が重く感じるはずだ。そんな症状は兆候すらも感じられない。
 今度は人差し指と中指の腹で彼女の頬を撫でた。マギーはぴくりと反応して、ゆっくりと顔を上げた。肩口から濡れてまとまった髪が一房、ぱたりと落ちていく。
 それを目の端で追いながら、ミカエルは己の視界にマギーの顔が広がっていくのを知覚していた。
 頬がうっすらと染まっていくのと、大きな瞳が閉じられていくのはほぼ同時だった。
 今日一日、暇さえあれば自分を見つめていたそれが見えなくなってすぐ、ミカエルの視界も暗く染まった。

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