マギーはそっと盗み見るように、灯りを消し月光だけが頼りの部屋で、彼の顔を見つめていた。
彼が使うはずだった寝台に優しく倒されて、伸し掛かっている――というほど圧迫感はないのだが――その表情は、逆光の形になってはっきりとは視認できない。
はだけられた己の胸にごつごつした手が伸びて、そっと触れた後にゆるく掴まれる。
触診でもない限り、自身の許可をもって他人に触れさせたことのないそこは、自分の肌ではないようだった。
まるで、他人が触れたことで、その相手の何かと同化して、自分個人だけのものではなくなってしまったような――うまく言えない。うまく言い表せるほど、マギーの経験は多くない。
というか、マギーは彼しか知らないし、片手で足りる回数を触れ合っただけだった。
「……どうした?」
ゆったりとした刺激にぼんやりしていたマギーは、かけられた声に視界をクリアにする。手の動きを止め、怪訝そうな、さらにそこへ心配と不安とをミックスさせた感じの表情で、ミカエルは彼女を見下ろしていた。
「ぇ、あ……」
反応が遅れた彼女からわずかに視線を逸らすと、
「何だ、嫌なら」
ミカエルは口の中だけで呟く。
「ち、違うの、そんなんじゃなくて――」
じゃあ何なんだ、とミカエルの視線が先を促した。が、
「……えと」
わからない。口にしにくいとかそういう次元ではなく、自分でもうまく説明ができなかった。マギーにできたのは大丈夫だからと告げることだけで、ミカエルも釈然としないものを感じつつわかったと頷いて、再開した。
ミカエルの手が動く度に吐息をつく。明確な声にならないよう、その都度、喉奥で飲み込んでいるせいだ。
嫌なわけではない。むしろ、自分に触れてくれていることは嬉しいと感じていた。
だからただ――ともすれば自分を置いて一人でどこかへ行ってしまいそうだった彼が――、自分の側に居てくれて、自分に触れてくれているということが、ひどく貴重で大切で大事で、宝物とか夢じみた、現実味の無いものに思えた。
自分に触れるその人をしっかり見据えることで、その非現実的な錯覚を払拭したかったのかもしれない。
飲み込みきれずか細く声帯を震わせながら、マギーはそんなことを考えていた。
ミカエルの手つきは慎重でもなくかといって乱暴でもなく、マギーがいくつか予想したどれとも違った力加減で、その標準より豊満気味な胸の形を変えている。
心拍数は先程からかなり高く、体温も上昇している。
己の体にどんな変化が起こっているか、医師としてのマギーは正確に把握していた。
女性としてのマギーは、ただ先の見えない――行き着く先が何であるかはわかっていたが――行為に、不安と期待の入り混じった心地を持て余していた。
自分の皮膚にはこんなにも敏感な知覚能力があったのか。
そして、それを引き出せるのは彼の手でしかありえないのだと、何の根拠もなく、マギーは確信していた。
「ん、……っは、あっ」
時間が経つにつれ、喉の奥に仕舞い切れない声がゆるゆると漏れ始める。軽く唇を噛んで耐えようとしても、せり上がってくる衝撃で容易に口が開いてしまう。何も動いていないのに息があがりかけていることも相成って、マギーの濡れた唇から、高めの声と悩ましい吐息が交互に吐き出された。
「ぁ、っ……?」
断続的な刺激は唐突に、何故か片側だけが止んだ。にじみ掛けた涙ではっきりしない視界で、ミカエルの金髪が揺れるのがわかった。
生暖かい、最初マギーはそう思った。続いて、ぬるり、という想定外の感触。
それが彼の舌によるものだとわかるまでそう時間はかからなかった。
「っ、あ……」
そうっと、本当にそっと、吸われたのがわかった。瞬間体が強張りかけて、けれどマギーはすぐに力を抜いた。抜けた、が正しいのかもしれない。
ずっと触れたままのミカエルはその変化を察知したのか、次第に吸引を強くしていく。それはどこまでも優しく、壊れ物を扱うようだ――マギーは何となくそう感じた。
「……っ、ん」
次第にマギーの頬が火照ってくる。
それはこれまでの心拍数の上昇に伴う体温上昇ではなく、感情の変化によるものだと、マギーは知覚していた。
髪を短く切りそろえた彼が、以前よりも年相応に、むしろ幼くすら見えることも影響しているのかもしれない。
(ミカエ、ル……)
気が付くとマギーは彼の金髪にそっと手を触れさせていた。指先をさらさらしたそこに潜らせて、そうっと――まるで頭を撫でるように――滑らせる。
ミカエルはされるがまま、片手の動きを緩慢にさせつつも、吸い上げることは止めなかった。それがさらにマギーの胸と頬とをを熱くさせて、手のひら全体で彼の頭に触れていく。
包み込むように、そっと、優しく。マギーは、きっかけさえあれば頭を抱えてしまいそうな自分をはっきりと認めていた。
胸がじわりと熱くなる感覚。
一言で言い表すなら、それは「嬉しい」という感情なのだろう。
まるで赤子のような行為を取る彼を、マギーは嫌だとは感じなかった。
むしろ、もし彼が、母親に対するような感情を自分に対して抱いてくれたのだとしたら、それはとても嬉しいことだ。マギーは心の底からそう思った。
それはとてもあたたかくて、やさしい。
マギーはしばらく、その心地よい感覚に身を委ねた。
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