過度の熱はときに痛みとして知覚される。
火傷などを考えればわかるように、あまりに高温であるがゆえに皮膚が焼かれ同時的に発生したはずの二つの感覚が、結果的として熱さではなく痛みとして神経に伝わる。熱いと思うより痛いと思う方が強かった、それだけなのかもしれないが。
だから、こうして痛いと感じるのは彼の熱のせいかもしれない。初回よりも幾分スムーズに貫かれながら、マギーはそんなことを思った。もちろんそんな余裕があるのではなく、痛みからの現実逃避によるものだ。
苦しいと思うのはつい呼吸を止めてしまうからで、熱と痛みを伴う衝撃に耐えようとすれば、自然と全身に力が入る。息を吐き出すと脱力してしまうのは人の構造として仕様のないことで、だからマギーは呼吸困難とも戦っていた。
力を抜かなければ相手だって辛いのだと、感覚の前に医学的事実として理解しているマギーにとって、解っているのにできないというジレンマはより一層焦りを呼んで、ますます体の自由が利かなくなっていく。
悪循環の中、ようやくミカエルの動きが止まった。マギーはひくつくように呼吸をしながら、ゆっくりと視線を上げた。苦しさから浮かぶ涙が視界を歪めている。それでも、何かが近づいてくるのぐらいはわかる。
マギーが反射的に目を閉じると、汗で張り付いた前髪をそっとかきあげられ無骨な手が額に触れてきた。
ただそれだけで気持ち的に楽になった気がして、マギーは目を開けた。まなじりに残っていた水滴が零れて、自分を覗き込む顔をはっきり見ることができた。どこか心配そうなそれに、いてもたってもいられず口を動かす。
「だい……じょうぶ、だから」
途切れ途切れの一言に、ミカエルの顔が歪んだ。無理すんな、ともう一度、額の手を動かして落ちてきた前髪を避けてくれる。
平時、彼の気遣いはとても遠回しでぶっきらぼうでいつもマギーはくすぐったさを感じていた。
じんわりと胸が温まるすぐ横でしょうがないなあと苦笑してしまう、そんな不器用なミカエルをとても愛しいと思った。
直に肌を重ね合わせたときの彼は、不器用ながらも精一杯の優しさをマギーに注いでくれる。それがとても嬉しくて、どきどきして、泣きたくなるような、そんな心地にさせるのだ。
次第に呼吸が落ち着いてくると、麻痺していた感覚も戻ってくる。
苦しさは薄らいだものの痛みは若干残っている。熱はずっと体内にわだかまっていて、少しだけ集中すると僅かな脈動すらも感じ取れそうになり、マギーは慌てて視線を背けた。背けたところで感覚が途切れるわけではなかったが、そうでもしないと集中が途切れてくれなかったのだ。
視覚的情報と触覚的情報はそれぞれが合わさると、その対象物についてより幅広く詳細で正確な情報を得ることができる。
だが二つ合わせることが必ずしも詳細を高めるとは言えず、それぞれが独立して働くことで今度は想像の幅を広げることができる。
つまり、マギーの取った行動は完全に逆効果であったのだ。
想像は事実よりも容赦がない。天井知らずなそれに、マギーは必死に自制するが、反射的な身体反応までは止められなかった。
「……っ」
すぐ上方から聞こえた息を呑む音に視線を戻すと、当たり前だがミカエルと目が合った。
「もう平気そう、だな」
「ぁ、……う、うん」
マギーは強張りかけた体から一生懸命力を抜くよう意識して、動きだした反動にひゃ、と裏返った声をあげる。予想外のそれを抑えようと思ったときには、熱を基調とした粗雑で甘やかな刺激がマギーの声帯を勝手に震わせている。
動きに合わせてがくんと揺れる体は、やがて自ずとリズムを合わせるように力を抜き差しして、呼吸のタイミングが修正された。
「ひぁっ、あ、っんぅ、っあ……!」
熱いのは変わらずだったが、痛みが別の感覚に摩り替わってマギーの全身を覆い始めていた。それは彼女の思考を止め、抗うことすらも考えさせないようにする。
ただこの切ないような、背骨を通る神経を直にいじってくるような、無遠慮で無秩序で、だから制御することなどできはしない、たった一つの感覚を刻み込ませるためだけに、マギーの体は自ら自由を放棄し感受の態勢に変革していく。
それはまるで、自分が自分でなくなるような感覚。
実際、己の意思や思考といった、彼女自身を構築する基盤的な部分が自立稼動を止められているのである。つまり彼女が彼女たりえるための精神的な活動が行われず、行動に反映されないのだから、結果として彼女はいつもの「マギー」ではなくなっているのだ。
マギーは最初それを怖いと思った。否、今も怖くないと言えば嘘になる。
だが自分をそうさせているのは他ならないミカエルであり、それは彼が自分を求めた結果なのである。
だから確かに怖いのだけれどでも、そんなことが気にならないほどマギーは嬉しさを感じていた。
何の当てもなく、けれどどうしても気になって彼を探し続け、そして再会して。マギーはこみ上げる嬉しさとともに、自分は彼が好きなのだと確信した。
次に確信したのは、彼は一所に留まらない存在で、いつかはいなくなってしまう、そんな「世界とは交わらない人物」だということだった。マギーの中には常に、彼が何も言わず姿を消してしまう、という最悪の未来予測があった。
だからなのだ。
彼がこうして自分の側にいて、あまつさえ求めて触れてくれることというのが、こんなにも嬉しいと思えるのは。
マギーは無意識に両腕を伸ばした。逞しい体にするりと絡み付けて、強く自分に引き寄せる。
自分の奥で相手の熱を、触れ合う肌で相手の体温を、耳へ直に届く空気音で相手の息遣いを――ミカエルが自分の側にいるということを、マギーは全身で感じて、そして受け止めていた。
「……っか、え……るっ……!」
ぞくん、と背筋を走った一際強い感覚に、マギーは目の前の体にきつくしがみついた。
ばらばらにならないように。
こんなにも嬉しさを感じるこの心、体、そして全ての想いが、辿り着いた先で砕けてなくなってしまわないように。
それは彼も同じだったのだろうか。
最後の瞬間、マギーの細い体を壊れんばかりに抱きしめて、ミカエルは震えるように息を呑んだ。
訪れた衝撃にマギーの意識はあっけなく霧散する。
それでも、彼女が旅の末に手に入れた全てのものは何一つ欠けることなく、しっかりとそこに残留していた。
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