「……ん」
 腫れぼったく感じる目を苦労して開けると、マギーはぼんやりと天井の模様を眺めた。
 思考が定まらない。何となく体が重い気がする。節々とかが特に。
 次第に脳が活動を始め、目覚めてから時間にして二分四十六秒後、マギーは一瞬にして己の状況を理解し思い出し即座に隣を向いた。
「ミカエ、ル?」
 当然ながらそこには誰もいない。
 誰かが寝ていたらしいシーツの痕跡(それ以前にやたらと皺だらけなことにマギーの思考は瞬間的にパニックになった)、下側のみやや盛り上がった毛布(上側はマギーに寄せるようにかけられていた)だけがそこにある。
 ぽふ、と力なく手を置いてみると、ほんの少し温もりが残っている気がした。
 時間が経っているのかそうでないのかよくわからない。
 そんなことはないよねと自分に言い聞かせながら、マギーは錯覚でなく重い体を起こした。室内を見渡す。
 荷物は――テーブルの側にまとめて置いていたはず――ここからでは見えない。
「ミカエル……」
 不安が言葉になって出た。呼んでも返事のない名前を、今ここで繰り返すことに何の意味があるのか。それでも、マギーは自分の口を止められなかった。
「ミカエル」
 もぞ、と毛布の中で腰を浮かした。立て膝の体勢になれば、テーブルの下の方まで見えるはずだった。
 なのに、うまく見えない。もうベッドから降りて歩いていくしかない。
 中途半端に起き上がったせいで毛布が足に絡まって、やはりうまく降りられない。体のだるさも手伝って、動きがどんどん緩慢になっていく。
 早くしないと。
 早くしないと、ミカエルが――

 そのとき、本当に無造作にがちゃりとドアが開いた。入ってきた人物とまともに目が合い、マギーは動きを止める。一秒遅れて動きを止めた唇が、彼の名前を呼んだ。
「ミカエ……ル」
「起きたのか――って、おいっ」
 ぐらりとマギーの体が傾いだかと思うと、彼女はそのまま受身も取らず床へと落ちていく。
 咄嗟に反応したミカエルが飛び込んでいなければ、頭か、良くても肩を強く打ち付けていたに違いなかった。
 ふー、と安堵のため息をついてから、ミカエルは腕の中に半眼を送る。
「何やってんだ。無理に起きなくったってまだ……っな、おい、マギー?」
 白くて細い腕がミカエルの首に絡みつき、マギーはそのままぎゅうむと抱きついた。その拍子に体にまとわりついていた毛布がずれたりもしたが、彼女は気付いてもいないようだった。
 状況についていきかねているミカエルの耳に、掠れた声が届く。
「よかった……」
「……何が」
 聞き返すと、マギーの抱きつく力がさらに強まる。
「ミカエルが、一人で行っちゃったんじゃなくて」
 耳元で囁かれる言葉は、ミカエルにとってある種心外なものでもあった。そんなに信用ないのかと思いかけて、そりゃないか、と自分で納得してしまう。
 ただとにかく、彼女は目を覚ましたとき自分がいなかったことに対し勘違いをした。そのことだけは、ミカエルにも存分に理解できた。
 ミカエルはずり落ちる毛布の端を掴むと、離れようとしない彼女に巻きつけるようにして、その華奢な体を抱き込んだ。
「もうお前一人残して行ったりしねェよ」
「……本当?」
 抱きつく力が緩んだので、ミカエルもそれに倣った。至近距離で見下ろすその顔には、うっすらと涙がにじんでいる。
 ああ、と口にするだけでなく頷いて、ミカエルは続けた。
「アンタ一人残してくと、また勝手にどこまででも追っかけてきそうだからな」
「追うもん」
 子供っぽい口調で睨んでくる相手を宥めるように、
「連れてくよりそっちの方がよっぽど危険だからな。だから、」
 ぽんぽんと頭に手を乗せる。
「もうアンタは置いていかないことにした」
「……ミカエル、それ、って」
 不規則に揺れる瞳を受け止めきれず、慣れないことはするもんじゃないと心底実感しながら、ミカエルはもう一度、しかし今度は自分から彼女を強く引き寄せて、閉じ込める。
 これで、多分に赤くなっているであろう顔は見られなくて済む。わずかながら取り戻せた余裕を口調に乗せた。
「アンタがいたいだけ、側に居てくれ」
 数秒の間があって、返事の前にうっ、としゃくりあげる声が聞こえて、
「……っ、うん……!」
 マギーはゆるく温かく隔絶されたその中で、大きく頷いた。

 そこはミカエルの腕の中。
 自分の居場所はここでいいのだ。

 そう思うと、後から後から涙が溢れてくる。
 ミカエルが泣きすぎだと呆れてもなお、マギーは泣き続けた。

 ――それがとても、嬉しくて。

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