「――あら、あなたがここに来るなんて珍しいわね」
キイ、とイスを回転させて相手の正面に向き直ったソフィアは、口の端にからかうような笑みを浮かべた。
「どこか怪我でもしたの? それとも、何か悩み事かしら」
一目見て病気ではありえないと判断して、ソフィアは訪問理由を羅列してやる。
先手を取られた相手は少々ばつの悪そうな顔をしながらも、白い歯を見せた気障ったらしい笑顔を作り上げて、さっそく用件から切り出した。
「まあその、……不眠症になる原因、ってのをご教授いただきたいなあと思って」
エレメント候補生の一人、ピエール・ヴィエラ。性別男、年齢十七。
候補生の中では年長組に入る彼は、状況を素早く把握し適切な行動ができる冷静な判断力、そして周囲の者を気遣える面倒見の良さを兼ね備えており、暴走または対立しがちな年若いメンバーのまとめ役として定評があった。
しかし欠点をあげるとするならば、女子への興味に優先順位が偏りがちであること、それ故か周囲からの「お調子者」のレッテルを剥がせずにいること。
根は素直で他人思いな性格であるし、彼がここDEAVAへ来ることになった要因も考えれば、有事における思考の切り替えはしっかりしており、総評として彼は素晴らしい人材、ということになる。
相手のデータをざっと再確認しながら、ふうん、とソフィアは意味ありげに笑ってみせた。
話を聞く体制を作るべく、入り口付近で立ったままのピエールへ患者用のイスを勧める。程良い距離を置いて着席したことを確認してから、ソフィアは口を開いた。
「まだあの訓練を続けているの?」
「いやまあ……ある意味そうかも」
落ち着きがなさそうにしている様は、ある種大人びている彼の、年相応の素振りに思える。こんな一面もあるのねと、ソフィアは心のカルテにメモしておいた。
「本人には聞いてみた?」
「先生ならそんなこと聞かれて、いい気分する?」
「しないわね」
「わかってんなら、聞かないでくださいよ」
ピエールはそこで息をついて、表情を幾分引き締める。促されたのだと気付いて、ソフィアはそうね、と唇に人差し指をあてた。
「不眠症って一口に言っても、症状は人によって様々あるの。まあ、中でも多いとされているのは「入眠障害」ね」
「ニュウミンショウガイ」、と復唱するピエールに頷いてから、
「簡単に言えば寝つきが良くない、ということ。一度眠れさえすれば後はずっと眠っていられるけれど、どうしても眠れないというのが主な症状」
「何で眠れないんです」
がたん、ピエールが身を乗り出した。それを微苦笑で受け流して、ソフィアは続ける。
「症状と同じく、理由も人それぞれね。一般的なものとしては、ストレスなどの精神的なものが多くあげられている。薬物や飲酒、患っている疾患から併発したりもするわ。正直なところ、一概には言えないものなの」
「クロエの場合は?」
ようやく核心に迫れたと、ピエールの瞳にぎらりとしたものが宿った。
「ピエール」
ソフィアはほほえましいものを感じつつも表情に出さないようにして、彼の名前を呼んだ。
すると即座にはっとした様子で見返されて、「落ち着いて」のサインをきちんと受け取ってもらえたことに、ソフィアは口元だけで嬉しさを表す。
「私はあなたたちエレメント候補生の悩みを聞くカウンセラーを勤めているけど、同時に医者でもあるの」
わかってます、と頷かれたそれは――半ば遮るような、先を促すための仕草。
サインに気付いただけでも凄いことよね、とソフィアはがっかりしそうな自分を宥めた。
「まあ、カウンセラーでも同じことだけれど……医師にはね、患者についての守秘義務というものがあるの」
やんわりと断られたことに、ピエールはぽかんとした表情で固まった。
出鼻をくじかないようにと配慮したつもりだったのだが、なるほどこれは重症ね、とソフィアは思う。
(失恋の特効薬には新しいソレだというけれど)
彼は彼なりに前へ進もうとしているのだろう、おそらくは。
ピエールとクロエ。似た者同士、相手のことを親身になって考えることで、自己をいたわろうとしているのかも――などと、職業柄つい邪推じみた分析をしてしまう。
「それは仲間でも、……話せるわけ、ないわな」
「ええ。クロエの力になってあげたいという気持ちはとても素晴らしいことだと思うわ。でもこれは、例え家族であっても特別扱いするわけにいかないことなの。力になれなくてごめんなさいね」
「ああいや、俺の方こそ少し考えりゃわかりそうなことだったのに」
ピエールは照れくさそうに言うと腰を上げた。
「一般的な情報だけでも十分参考になったよ。忙しいとこありがとな、ソフィア先生」
「どういたしまして」
そんじゃ失礼しましたー、と足早にピエールは立ち去った。
ソフィアはすらりとした足を組みなおして、閉じたばかりのドアを見つめる。
「若者は本当、前向きね」
そう呟いてから、自分だって十分若者だけれど、と心中で付け足して、書類を片付けたらお茶でも立てに行こうかと考えた。
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